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2010年7月3日SAMURAI BLUE
いつもスタッフブログをお読みいただき、ありがとうございます。
まりん♪です。
もう30年も前のことです。
平尾誠二さんがキャプテンをされていた伏見工業が優勝した試合
(山口監督が大泣きして一躍有名になられたあの試合です)をテレビで観ていた私は、
すっかりラグビーが大好きになりました。
で、私はラグビーの雑誌を見るために書店に立ち寄りました。
しか~し、私の目はサッカーの雑誌の表紙に釘付け・・・
「カッコイイ~!!!」
当時、読売クラブに所属していた都並敏史選手でした。
その1枚の写真で、私はサッカーが好きになりました(笑)。
もちろん、当時はJリーグなんてものは影も形もありませんでした。
日本サッカーリーグの試合も何度か観戦しにいったことがありましたが、
華やかさとは縁遠いものでした。
そして、2010年。
日本中が、W杯で沸きました。
書店の一角、制服姿で(そんな時代が私にもありました・・・)
サッカー雑誌を読んでいた30年前。
日本がワールドカップに出場するなんて、思ってもいませんでした。
海外のクラブチームで日本人選手が活躍する時代がやってくるなんて、
想像すらしませんでした。
今、本屋さんのスポーツコーナーでは、未来のJリーガーや海外のクラブチームで
活躍することを夢見る金の卵たちが目を輝かせて雑誌を読んでいることでしょう。
子供たちにとって、世界は近いものになりました。
今回のW杯。試合に出ていた選手だけでなく、試合に出ることができなかった選手たちも
私たちにたくさんの大切なことを教えてくれた大会だったと思うのは私だけでしょうか。
控えにまわった選手達の気持ち、悔しさは私なんかには永遠にわかりません。
激しい色んな感情を抱えて苦しんだことでしょう。
それでも、表舞台で活躍する選手達を献身的にサポートするなんてことは、
本当に精神的に強い人でなければできません。
「プロフェッショナル」であることがどういうことなのか。
それを教えてくれたのは、試合にでることのできなかった選手達だったと私は思っています。
そして、選手の口々から出ていた監督やサポートスタッフへの感謝の言葉。
これは、私、泣きましたね。
本当にいいチームだったんだなぁ・・・
SAMURAI達が私たちに与えてくれたものは計り知れませんね。
私個人としては、中村俊輔選手のプレーを殆どみることができなかったのだけが残念でした。
彼のプレー姿は本当に美しいと思っているので。
2010年の想い出に、SAMURAI BLUEが鮮やかな彩りを添えてくれました。
本当にありがとう!