いつもスタッフブログをお読みいただき、ありがとうございます。
まりん♪こと野田真由美です。
えっと、明日から(5月31日)から家族旅行です。
毎年1回、大体この時期に2泊3日で日本国内を訪ね歩いています。
今回は、山好きの両親の希望で八ヶ岳方面へ。
※美ヶ原高原にある王ヶ頭ホテルでは、宿泊者向けに
雲海ツアーを行っております。
3年前、両親は参加して「一生忘れられない!」と大興奮!!
私がその時どうしていたのかは聞かないでください…
ずいぶん昔ですが、NHKの「生き物地球紀行」で
柳生博さんがナレーションをされていましたが、
私はあの優しい語り口が大好きでした。
生き物も人間も「自然の一部である」ということを
いつも考えさせてくれました。
生き物をただ「カワイイ」とかでなく、
愛情のこもった厳しさでその姿や生態をを伝えていらっしゃいました。
「限りなく優しく、ふんわりと包み込んでくれるあのナレーションは
どうやって生み出されるのだろう?」
そんな疑問に答えてくれた事実。
それは、「柳生さんは八ヶ岳に住んでいる」
それを知って私は「八ヶ岳に行ってみたい」。
そう思いました。
あの頃の私は、自分が心の狭いちっぽけな人間であることに
苛立ちを感じていました。
今から思えば、八ヶ岳に行って雄大な自然に触れれば
人間の器も心も大きくなると考えていた私も
浅はかでした・・・
長い年月がかかりましたが、ようやく八ヶ岳に行くことになりました。
母も、柳生博さんの息子さんである真吾さんが草木を大切にを守り育てている
様子をテレビ番組で見て、「あそこに行きたい」と言っておりました。
柳生さんのあのナレーションを生み出したものが何であるか、
五感全てを使って感じてきたいと思っております。
今の私も、昔「八ヶ岳に行きたい」と思っていた頃と
同じことで悩んでいます。
「私って、なんでこんなに器がちっちゃい人間なんだろ・・・」
人間の悩みなんて、どれだけ年齢を重ねても
あまり変わらないものなのかもしれませんね。
両親はもう75歳が目前になってきています。
私は45歳。
あまりこういうことは考えたくありませんが、
お互いに何がおこってもおかしくない年です。
だからこそ、1回1回の旅を大切にしたい。
今年も家族3人が元気で旅をすることができることに
心から感謝しています。
家族3人と書きましたが、私には3歳違いの弟がいます。
彼は大学からずっと東京暮らし。
東京で働き、自分のマンションを持ち、奥さんと8歳の女の子を
養う一家の主。
私の家族ではあるけれど、もう1つの家族を営んでいます。
そんな彼が昨年、私にこんなメールをくれました。
「両親のそばにいてくれて、旅行にも連れて行ってくれたり、
他にも大変なこともあると思いますが、本当にありがとう。
感謝しています。」
これを読んだ日、1人泣いてしまいました。
幼い頃、ケンカばっかりしていましたが、
お互い、立派な大人になったようです・・・
※同じく3年前の家族旅行で宿泊した上高地帝国ホテル。
朝食の時、隣のテーブルに座っていらっしゃった上品なご夫婦は
滞在10日目だとおっしゃってました。
思わず宿泊料を計算してしまった私・・・
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2010年7月3日SAMURAI BLUE
いつもスタッフブログをお読みいただき、ありがとうございます。
まりん♪です。
もう30年も前のことです。
平尾誠二さんがキャプテンをされていた伏見工業が優勝した試合
(山口監督が大泣きして一躍有名になられたあの試合です)をテレビで観ていた私は、
すっかりラグビーが大好きになりました。
で、私はラグビーの雑誌を見るために書店に立ち寄りました。
しか~し、私の目はサッカーの雑誌の表紙に釘付け・・・
「カッコイイ~!!!」
当時、読売クラブに所属していた都並敏史選手でした。
その1枚の写真で、私はサッカーが好きになりました(笑)。
もちろん、当時はJリーグなんてものは影も形もありませんでした。
日本サッカーリーグの試合も何度か観戦しにいったことがありましたが、
華やかさとは縁遠いものでした。
そして、2010年。
日本中が、W杯で沸きました。
書店の一角、制服姿で(そんな時代が私にもありました・・・)
サッカー雑誌を読んでいた30年前。
日本がワールドカップに出場するなんて、思ってもいませんでした。
海外のクラブチームで日本人選手が活躍する時代がやってくるなんて、
想像すらしませんでした。
今、本屋さんのスポーツコーナーでは、未来のJリーガーや海外のクラブチームで
活躍することを夢見る金の卵たちが目を輝かせて雑誌を読んでいることでしょう。
子供たちにとって、世界は近いものになりました。
今回のW杯。試合に出ていた選手だけでなく、試合に出ることができなかった選手たちも
私たちにたくさんの大切なことを教えてくれた大会だったと思うのは私だけでしょうか。
控えにまわった選手達の気持ち、悔しさは私なんかには永遠にわかりません。
激しい色んな感情を抱えて苦しんだことでしょう。
それでも、表舞台で活躍する選手達を献身的にサポートするなんてことは、
本当に精神的に強い人でなければできません。
「プロフェッショナル」であることがどういうことなのか。
それを教えてくれたのは、試合にでることのできなかった選手達だったと私は思っています。
そして、選手の口々から出ていた監督やサポートスタッフへの感謝の言葉。
これは、私、泣きましたね。
本当にいいチームだったんだなぁ・・・
SAMURAI達が私たちに与えてくれたものは計り知れませんね。
私個人としては、中村俊輔選手のプレーを殆どみることができなかったのだけが残念でした。
彼のプレー姿は本当に美しいと思っているので。
2010年の想い出に、SAMURAI BLUEが鮮やかな彩りを添えてくれました。
本当にありがとう!