いつもスタッフブログをお読みいただき、ありがとうございます。
まりん♪こと野田真由美でございます。
8月は、子供たちにとってワクワクドキドキな季節。
林間学校、キャンプ…親から離れてどこかに泊まる。
友達と協力して作るごはんは、見た目は全然だけど、とってもおいしい!
そんな経験をして、「仲間」という言葉を子供は覚えるのではないでしょうか。
ということで、キーストーンのFPがお届けする8月のテーマは「仲間」
先頭バッターはまたまた私が務めさせていただきます。
「仲間」と聞いて私が思い浮かべたのが「高校野球」
小学校から高校卒業するぐらいまで、母から言わせると
「ちょっとアブナイ」ぐらいの高校野球ファンでした。
特に、箕島高校が1979年に春夏連覇を果たした頃などは、
同校の校歌が唄えるほどの箕島高校ファン♪
尾藤監督の、どんなにピンチの時でも絶えることのなかった
「尾藤スマイル」は、当時中学生だった私でも
「すごいなぁ」と思っていました。
そして、大好きでした。
テレビであの笑顔を見る度、私も「大丈夫、大丈夫」と
言ってもらっているような気になっていました。
明らかに一方的な思い込みなんですけど(笑)
先日、尾藤監督を追ったドキュメンタリー番組が
NHKで放送されていました。
在りし日の監督のお姿を見た瞬間、泣けて泣けて…
私の青春そのものだったですね、あの頃。
その中で紹介されていたエピソード。
今でも「名勝負」と語り継がれている1979年8月16日の
箕島-星陵戦。
延長18回、箕島高校がサヨナラ勝ちしたあの試合です。
箕島のキャプテンでセカンドを守る上野山選手が、40度あまりの高熱をおしての出場。
もちろん選手もそのことを知っているので、ピッチャーの石井投手は二塁方向に打たれないようなピッチングを行い、ファースト、ショート、ライトの選手は、彼にできるだけ負担がかからないように守っていました。
しかし、12回表、上野山選手のエラーで1点を奪われてしまいます。
後がない裏の攻撃。打席がまわってきた嶋田選手が監督に言いました。
「ホームラン打っていいですか」
その時のことを、番組内で嶋田さんがお話しになられていました。
『ベンチを見ると、みんな、あきらめムードだった。
だから、みんなに聞こえるように言ったんですわ。
「まだ試合は終ってない。諦めたらあかん」と自分は思っていたから、
みんなにもその気持ちを持ってほしかった』
そして、奇跡の同点ホームランが生まれた…
今でもはっきり覚えています。
この回ぐらいから、私は試合終了までずっと泣きながら
テレビを観ていました。
自分でも何に対して泣いているのかわからなかった。
でも、涙が止まらなかった。
あれから32年。
今ならその理由が少しわかるような気がします。
あの頃は心のままに、素直に感情を出していた。
そして、
自分の気持ちをうまく表現できる言葉を持ち合わせていなかった。
今は、表現する言葉を持っている。
ただ、
あれほど純粋に泣けない…
「自分の気持ちを表現する言葉を持った時、オトナになる」
私はそんな風に思っています。
あれ?
テーマの「仲間」からずいぶん遠ざかってしまった?
いえいえ、私はあの試合の色んなシーンが「仲間とはどういうものか」を
物語っていると思うのです。
「それ、ちゃんと文章にしてくれないとわからないよ」
ごめんなさい、
まだ私は、うまく表現する言葉を持ち合わせていないんです。
オトナになりきれていないので…
2011年9月1日新聞の切り抜き(前編)
いつもスタッフブログをお読みいただき、ありがとうございます。
まりん♪こと野田真由美でございます。
9月1日は「防災の日」
私の遠い遠い記憶では、学校で避難訓練をやっていたと思うのですが、
はっきり言って真剣にやっていなかったです。
「こんなこと(火事とか)、私の身には起こるわけがない」と
本気で思っていました。
今となっては、「どこからそんな自信がくるんだ」とあきれますが、
子供なんてそんなものなのでしょうね。
というわけで、今月9月のテーマは「万が一」ということで
お届けいたします。
2011年、この言葉の重みが今までと全然違っている方も多いのではないでしょうか。
今回は(も)、なんとなく1番バッターに定着しつつある野田が務めてさせていただきます。
私が日本経済新聞の購読を始めたのは12年ぐらい前のこと。
中小企業診断士の勉強を始めた頃でした。
ある日のこと、私は1つの広告に魅せられてしまいました。
文章(ボディコピー)の美しさ、カッコ良さ。
言葉1つ1つをとても丁寧に大事に扱っているということを
人生で初めて感じたのもこの広告でした。
そこから想像したのは、「オトナの男の世界」。
私はこのお店に是非行きたい!と思いました。
ただし、条件付き。
「この広告の世界にピッタリあうような彼氏と一緒に」
(今だ実現せずですが(泣))
数ヵ月後。
またそのお店の広告が掲載されていました。
どう考えても同じ人が作ったとしか思えないそのボディコピーに
私はまた同じような衝撃を受けました。
「私もこんな文章が書ける人間になりたい。
どうしたらこんなにセンスのいい文章が書けるようになるんだろう…」
以降、この広告が掲載されるたび、私は切り抜きをしました。
中小企業診断士の勉強の役に立つような切り抜きは
一枚もありませんでしたが…(笑)
そして、私はとうとうメールを送りました。
送り先はその広告主である伊勢丹。
「日経新聞に掲載されている新宿メンズ館の広告が大好きです。
あれを作っているのはどういう方なのでしょうか?」
すぐに返ってきたメールには、
「広告代理店に製作をお願いしています。
創っている人は、様々な高級ブランドの広告を手がけている方です」
というようなことが書かれていました。
名前もわからないこの広告制作者について
私は色んな想像をしていましたが、
その人のことを知ることは永遠にないだろうと思っていました。
ところがある日突然、私は知ってしまったのです、
その人の名前を。
名作コピーを紹介する本を読んでいた時、
私の記憶に残っているボディーコピーが!
そしてそこに作者の名前が…
それが電通の角田誠氏であるということを知ったのは、昨年のこと。
私が伊勢丹にメールを送ってから実に10年以上の年月が
流れていました。
想像の中の人でしかなかった私の憧れの人の突然の登場。
(ちょっと大げさ(笑))。
私にとっては「万が一」の出会い。
ということで、このお話しは終わりなんだなと
思ったあなた!
そんなに簡単には終らないんですよ、実は…
ということで続きは9月のどこかで掲載します。
どうぞお楽しみに!